スマホのアルバムを開けない時期があった。

撮られる瞬間も、後から見返す瞬間も、両方が怖かった。 誰かに撮られた自分の顔は、自分が知っている顔と、毎回少しずつ違っていた。 その差を、僕は受け止められなかった。


集合写真では、立ち位置を選んだ。

後ろの列、端のほう、半身が誰かに重なる位置。 カメラが自分のほうを向く瞬間、無意識に顎が引けて、視線が下がる。 笑ってください、と言われると、笑い方が分からなくなった。 表情を作るのではなくて、表情から逃げているような数秒だった。


自撮りは、ほとんどしなかった。

スマホのインカメラを開く動作そのものに、抵抗があった。 通知の確認のために開いたカメラに、間違って自分の顔が映ると、 画面を急いで閉じた。あの 0.5 秒の動揺は、いまも覚えている。


困ったのは、SNS に上がった他人の写真の中に、自分が写り込んでいるときだった。

タグ付けの通知、グループラインに流れてくる集合写真、誰かの投稿の背景。 自分でコントロールできない場所に、自分の顔が置かれている。 それを見つけたとき、急いで自分の顔を探して、急いで目を逸らした。


ただ、撮られなくなっても、結局、僕は鏡や、駅の窓や、エレベーターの内側から逃げ切れなかった。

逃げたかった対象は写真ではなくて、もっと別のもの、たぶん「自分の顔」そのものだった。 写真は、ただ、それを動かしようがないかたちで突きつけてきただけだった。

そのことに気づくのに、僕はかなり時間を使った。


今は、写真を、避けない。けれど、好んで撮るわけでもない。

誰かに撮られたら、見返すこともあるし、見返さないこともある。 撮られることが「平気になった」とは言わない。 ただ、撮られても、その日の自分の機嫌が崩れなくなった。

それくらいの変化を、僕は Recover Your Presence と呼ぶことにしました。