朝、洗面所に立つことそのものが、憂鬱だった時期がある。

その日の最初に向き合うのが鏡の中の自分の顔である、という事実が、ずっと重かった。 LED の照明は、影が濃く出る。昨日は気にならなかった凹凸が、朝の光だと立体的に浮かび上がる。 僕は、その凹凸を、毎朝数えていた。


シャワーから出て、歯を磨いて、ヒゲを剃って。 普通なら十分で終わる工程に、僕は三十分から四十分かけていた。

理由は、鏡の中の顔を、検査していたからだ。

頬骨の上、こめかみの内側、鼻翼のわき。 炎症のある場所と、跡が残った場所と、新しく出てきた場所を、毎朝マッピングしていた。

そして、コンシーラーを塗った。男性用、女性用、ドラッグストアで買えるもの、海外の通販で取り寄せたもの。塗ったあとに、自然に見えるかどうかを、また確認する。

そのために、また鏡の前で時間が過ぎる。


家を出てからも、鏡から自由ではなかった。

電車のドアのガラス、エレベーターの内側、トイレの手洗いの上の鏡、コンビニのガラス越し。 街には、思っているより、たくさんの鏡がある。

僕は通り過ぎるたびに、自分の顔を一瞬だけ確認していた。誰にも気づかれないように、視線の角度で覚えていた。 たぶん、一日に百回くらいは、自分の顔を見ていたと思う。


触らないように、というルールは、何度も自分に課した。 潰すと跡になる。それは経験で知っていた。

ただ、夜、机に向かって本を読んでいるときや、電車で考えごとをしているときに、いつのまにか指先が頬に当たっていた。気づくと、深いところまで触っていることがあった。

翌朝、鏡を見たときの後悔の重さは、毎回、書くのがためらわれるくらいだった。


家族や友人に、ときどき「気にしすぎだよ」と言われた。

そう言われると、何も返せなかった。 気にしすぎ、というのは、たぶん事実だった。

ただ、気にしないことができないから、気にしすぎている、というだけだった。 その違いを説明する言葉を、僕は当時、持っていなかった。

説明する代わりに、僕はまた、明日の朝の鏡のことを考えていた。


ニキビが治まったあとも、しばらく鏡の前の時間は長かった。 治ったから気にしなくていい、というふうに、人間の心はできていない。

皮膚科に通って、跡を薄くする処方をもらって、数年かかった。 それでも、鏡の前で過ごす時間は、五分、十分と、少しずつ短くなっていった。

いま、朝の洗面所には十分もいない。 鏡は、検査するためのものから、ただ顔を洗うときに使うものに、戻った。


跡は、いまも頬骨の上に、薄く、いくつか残っている。 ただ、それを毎朝数えなくなった。

「肌が綺麗になったから」ではなくて、「鏡との関係が変わったから」、というほうが、たぶん正確だ。

Recover Your Presence — それを、僕は回復、と呼んでいます。