夏のあいだに、僕は、いくつもの儀式を持っていた。

シャツを黒にすること、だけではなかった。 朝のインナーの順番、駅のトイレでのリセット、エレベーターの動線。 ひとつひとつは、小さな動作だった。 ただ、それらを毎日、組み合わせて回していた。


朝、家を出る前に、必ず鏡の前でインナーを確認した。

二枚重ねの一枚目は、吸水素材。二枚目は、シャツの下に隠れる丈感のもの。 脇の下に汗パッドを貼って、その上にシャツ。 シャツの色は、決まっていて、迷うことはなかった。

予備のインナーは、必ず鞄に入れた。 夏の鞄は、それでパンパンになった。


通勤の電車では、座らない日が多かった。

座ると、座席の背が汗で湿る。 立っていれば、シャツの汗だけで済む。 吊り革は、できるだけ低いものを選んで、必要な分だけ握った。 冷房の弱い車両は避けて、ドアの近くに立った。

これらは、一度も誰かに教わったことのない、自分でつくった通勤ルートだった。


職場に着くと、まずトイレに入った。

個室で、シャツを脱いで、インナーを着替える。 持参したタオルで、汗を拭いて、新しいインナーを着る。 シャツを着直して、洗面台で顔を洗って、息を整える。 所要時間 5 分から 7 分。 それで、ようやく一日が始まる感覚があった。


会議室や面接の部屋でも、僕には僕の儀式があった。

座る席を選ぶときに、エアコンの吹き出し口の位置を見る。 ジャケットは、なるべく脱がない。 机の下で、ハンカチをこっそり握っていた。 水を飲むのも、汗の量を増やさないように、控えめにした。

これらは、誰にも見えない、たぶん必要のなかった調整も含めて、 僕の夏を構成していた。


いま、それらの儀式は、ほとんどしなくなった。

ボトックスを脇に打つようになって、量そのものが落ち着いたからだ。 インナーの予備は、1 枚だけ鞄に入れる。 電車では、座る日もある。 職場に着いてからのトイレは、もう、ない。


ただ、駅のホームを歩いているときに、 吹き抜けた風が脇のあたりを通ると、いまでも、僕は一瞬、確認する。

「ああ、もう、地図は出ていない」 それを毎回、ほんの数秒、確認している。

その数秒の確認が、いまも残っている、ということを、 僕は無くしたくない気もしている。

それは、苦しかった時間と、整えてきた時間と、いまを、繋いでいる、 小さな儀式のような時間です。