一度、髭を伸ばしてみたことがある。
仕事を辞めて、次の仕事に入るまでの、ひと月半くらいの空白期間だった。 「整えなくてもよい時間」がはじめてまとまって取れる、と気づいて、 じゃあ、と、剃るのをやめた。
最初の一週間は、まばらだった。
濃く生える場所と、薄い場所の差が、自分でもよく見えた。 そして、思っていたよりも、伸びるのが遅かった。 SNS で見るような、整った形にはならない。 それは、僕の髭が「そういう髭」だからだ、というだけの話だった。
二週間目くらいから、人に会うのが少し億劫になった。
正確には、伸びはじめの不揃いの髭で人と会うのが、少し恥ずかしかった。 コンビニに行くのにも、マスクをして、帽子を深くかぶった。 誰も自分の髭を見ていない、と頭で分かっていても、 そうは思えない自分のほうに、僕は気を取られていた。
整えないでいることに、こんなにエネルギーが要るのか、と思った。
ひと月を過ぎた頃、髭はある程度の形になった。
そこで初めて、人と話すときに、口の周りを気にしなくてもいい時間が来た。 不思議だった。 整えていた頃と、結果として、同じくらい「気にしなくて済む状態」にたどり着いていた。
ただ、伸ばし続けるか、剃るかは、僕の中ではすぐに決まらなかった。
伸びた髭は、整えるのに、別の手間がかかる。 トリミング、形を整える、その日その日の長さの維持。 「剃らない」というのは、「手をかけない」という意味ではない、と気づいた。
整えないでいる、というのも、別の整え方だった。 方向が違うだけだった。
結局、次の仕事が始まる前日に、僕は全部剃った。
理由は、簡単で、その仕事の場所に合わないと判断したから、というだけだった。 「髭のある自分」が嫌になったのではない。 ただ、その場面に置く自分のかたちを、僕が選び直しただけだ。
その経験のあと、「剃らないでいる選択肢」が、僕の中で、選択肢として存在するようになった。
剃ることは正解ではない、剃らないことも正解ではない。 ただ、両方が、選べる場所にある。 それは、ひと月半、剃らないでいた時間に、もらったものだ。
選べる、というのは、思っていたよりも、静かな自由でした。
Male Conditioning とは、たぶん、その「選べる場所」を取り戻していく実践のことです。